建前3日目になってきました。
連日、強い日差しのなかの建前、大工さんたちの仕事ぶりに尊敬のまなざしなくしては見れません
建て主さんも、連日ずっと大工さんたちにお茶を振舞ったりしながら見守ってくれています。やはり大工さんたちが苦労して何ヶ月にもわたって刻みあげた材がカタチとなっていく姿を、目に焼き付けること、それが大工さんたちの労に対しての礼儀でもあります
昔ながらの家づくり、礼には礼をつくす。お互いが心をつくすことで成り立つ家づくりでもありますからね。それが大切
建ってしまえば見えなくなる仕口や継ぎ手の巧みさをしっかりとビデオに納めていましたよ~
建物のほうも、差し物類がはいっていき、どんどんと組みあがりにくくなってきました。
まるで難解なパズルのよう・・。1階2階通しの通し柱は、すでに足元や腰まわりが組まれており、ビクとも動きません。そのなかに差し物類を組み込むのはそう容易ではありません。でも智恵を出しあえばなんとかなるもんです
少し時間はかかりますが、ひとたび納まった材はそう簡単に抜けることがないということを実感します。そして差し物類でひとかたまりのようになった壁は、地震の際に柱の上下だけの仕口が力を負担するというより、まるで格子状になった幾箇所もの仕口で力を負担しあうカタチに。
こちらは小黒柱。こちらもあっちもこっちも差したり掛かったりしなければいけないので、時にはフレームを広げたりしながら入れ込んでいきます。長いホゾが小黒柱に突き刺さります。
やっと納まったかと思うと、今度は反対側の梁を。建て主さんもこの瞬間をのがしてません。
あっちもこっちも掛かったり差さったりするから、やっぱり入れにくい。
でもひとたび納まれば、どんなことがあってもビクともしないような、安心感が沸いてきます。
そして随所で、さらにフレームを固めるために、梁の上にさらに梁を載せて、木を幾重にも組んでいきます。こうすることで梁組みが格子状になり、水平方向の粘りにつながります。
一般的な工法では合板や筋交いや火打ちで固めますが、昔ながらの家づくりはそれらを使わない分、木組みである程度の粘りを出すわけです。逆に言えば、一般的な工法は木を組まなくなった分、それら合板やらに頼らなくてはいけなくなったとも言える訳です。
材と材が噛み合わさっていけばいくほど、全体で力を負担したり分散したり粘ったりします。それが木組みの真骨頂でもあります
差し鴨居や差し敷居、足固など、現代の家づくりが捨て去ったもの達によって、ひとつひとつが地震の際の底力となって機能しあうつくりなのです。
昔ながらの家づくりは、和の家です。すべてが和となって全体でもって機能していく精神がそこにあります。すべてを生かすこと、それが和のスピリッツ。う~ん、この和のスピリッツにいつもながら畏敬の念が絶えませんね。。
綺麗。。。
美しい。。。
こころを打つような美しさがそこに存在します。なにか現代人が忘れ去ってしまっている美しさを。。
きっとここには木を生かし、人を生かし、自然を生かす。存在ひとつひとつをいかして、全てが和となって調和していく世界。和のスピリッツの美しさがあるからこそ。。
私が昔ながらの家づくりに感じるエネルギー、そしてもっとも惹かれる理由です。。
こんな家づくりに携われて、いつも幸せなわたし~
棟があがりましたよ~
でもまだまだ。。
なんだか建前なのに・・今度は繊細な作業?
この繊細な作業に加え、こっちもあっちも差し込まないといけないから、かなりたいへんです。結構、これ建前の時に、大工さん嫌がるんですよね~
うまくいくかな?
昔はよく長屋門などのタテ格子もこうやって建前の時に入れていたんだって。うまく納まって、いい雰囲気~
どこか、風を感じますね~
またひとつ昔ながらの家づくりに、教えられたような感覚
建前4日目につづきます。。
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