追憶。。

 

お世話になってきた矢野左官さんが、先週、天国へと旅立って逝かれました。
私たちが伝統構法をはじめようと思い立ったとき、地場のそこにある土を普通に使って土壁や三和土(たたき)、また自然の素材から材料までこしらえる左官さんがなかなか見つからず、そんなときご縁がめぐってきて矢野左官さんと出会ったのでした。
だから手探りではじめた私たちの伝統構法は、矢野さんの土壁あってこその歩みでもありました。
私たちが探しもとめていた、荒壁土まで寝かせて土壁をつくる左官さんは、そういるものではなかった。いたとしてもそれはお城ぐらいの超特別な仕事としてしか請けないというなか、矢野さんはそんな奢ったことではなく熟成土を使ってくれたり、縄は藁縄や棕櫚縄、貫伏せは棕櫚といった本来の左官さんの素材や仕事を手掛けてくれる唯一な人でした。
私たちもだから伝統構法をあまり奢り高ぶったものではなく誰もが届きやすいものとして建て主さんにもすすめ広めていく事ができました。いま私たちがこうやってあるのも矢野さんのお陰とも言えます。

 
 

若い頃はとても気性が強かったそうですが、晩年は穏やかに、慕ってくる者には親分肌でした。
でも時に若い大工さんを困らせることもありましたが、昔かたぎの左官仕事や土に関する知恵は誰よりも豊富で、若い私たちの知らないことをたくさん知る人であり、掛け替えのない存在と言えました。
矢野さんからいつも土の性質から竹のこと昔ながらの自然の素材や仕事のことをたくさん教えてもらったことを思い出します。仕事のこと以外でも暮らしのことなど、昔ながらの先人たちの知恵を諸々と教えてもらったのを覚えています。自然の摂理や道理などに、わくわくさせられ昔ながらの仕事にさらに惹かれていった私たちです。教わり尽くせない事がまだまだたくさんあったと思います。
「所の文化やけんね」っと、その地ごとにある、その地ごとだから相応しい仕事のあり方があることも、そのとき良い所取りばかりを考えていた若い私たちに説いて教えてくれたのを思い出します。
左官さんは土にふれるせいか柔らかくい受容的で感性に富んだ職人さんだと感じさせました。
設計者である私の感覚を一番よく理解し読み取っていたのが矢野さんとも言えました。


畑仕事が大好きで、仕事でも土を扱い、趣味も土に触れるといった、本当に土が好きな矢野さんでした。いつも内子を訪れるたびに矢野さんのつくった野菜を山ほど頂いて帰ったのを思い出します。私たちも矢野さんのようにお裾分けが出来る人でありたいと目指したものです。ここ何年かは体を弱くして好きな畑仕事も出来ずにいたようでした。矢野さんでしか出来ない仕事内容から、常に仕事は絶えず、最後の最後まで現役であり、本当に惜しまれる最後となりました。最後まで楽ができなかったとも言えます。
弟子を育てることだけは上手でなかった矢野さんですが、でも確実に学んだ事は尊く、次へと繋がっていってます。
私たちも矢野さんから学んだこと、そして昔ながらの左官仕事の良さを、次へと繋いでいければと、次なる世代と手を繋ぎ歩みはじめています。
お世話になりました矢野さん。ありがとう。
安らかにお眠りください。。

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