貫伏せ。。

 

『つながる家+つなげる家』も3度目の壁塗り”貫伏せ”に入りました。

昔ながらの家づくりの仕様は、メインフレームは全て5寸柱でつくっています。
またそれに取り合う梁や土台や足固めも5寸巾となり、その分しっかりと土もつけられます。
どうしても厚塗りになればなるほど割れやすいのが土の特質。
しかし熟成した土の良さは、よく土が締まっているが故に割れにくい。
こんなに厚塗りだったら、普通はワレワレの壁になってしまいますが、さすが熟成土です!
昔は家を建てるとなると、ご近所総出で田圃で土を寝かしたそうです。


ただ力がかかりやすい貫の部分には、棕櫚をかまして割れ防止をします。
これも今よく使われている寒冷紗の製品だと、寒冷紗と土の切れ目で割れる恐れもあるので、やっぱりそこは昔ながらの棕櫚の方が放射状に繊維が広がって土との食いつきが良いようです。
何ごとも先人たちのやってきた事は試行錯誤のうえに出来上がった結晶であり、いつもながら頭がさがる思いです。

ひとつひとつに無駄がない。そこに道理にかなった物づくりを見ます。
だからいつもひとつひとつ先人たちがやって来たことを、観察し、そこに本質的な道理を見抜ける自分でなければ何も見えて来ないと思っています。

先人たちの遺してきた物づくりは、あまりにハイグレード。
今の物づくりから言うと地と天の差がありすぎて、まだまだ未解明な事が山ほどです。
私は恵まれていて、こうやって昔ながらのやり方で家づくりをさせて頂く機会が多いです。しかしそれでも先人たちの物づくりの一滴さえも理解するのは、ほど遠い・・。それだけ奧が深く、容易でないということです。。

ん~思うに、もっともっと感性を研ぎ澄ませて、自然の摂理や物事の道理を肌でみにつけていかなければ難しいのだなと。。
こればっかしは、さすがに頭が賢くても無理です。むしろ頭だけで考えようとすると限界がくる。感性の部分に直結することが多いのです。

自然界の虫や草木や土や水や空気や火(日)のことを、体感をもって知っていること。
そして物事の造られ方や生み出され方に精通し、自らがその一端を体感していること。
また物を慈しむ心や大切にする心が物づくりの絶対的底辺にあり、そういった心に、自分自身がどっぷりと同化しないと先人たちのやってきた事は見えないと感じるのです。

よく和の家は、構造的に、壁だけが荷を支えたり地震に耐えたりするのではなく、窓の枠となる鴨居や敷居、はたまた土台や足固めや、木を組んだりする事、石の上でズレながら揺れる事など、全ての要素で家をもたせている造り”総持ち”であると言われています。
これと同じように、あらゆる研ぎ澄まされた感覚や意識や経験の総持ちにより、和の家が出来てきたことを、つくづく感じるのです。

物を本当に大切にし、長く長く使っていく心。そこには木の一欠片をも無駄にしたくないという気持があり、そこから多くの家の形や構造が生まれたことや、四季の細やかな移り変わりを繊細に感じる感性があってこそ、居住性の良い住まいが造れること。あらゆる素材に精通し、自然界のなかでの、その素材の役目をも知ってこそ、始めて木や土や自然の素材が調和する家が造れるんだろうなと感じるのです。

まずは、そういった暮らしを自分自身がはじめること。
自然に寄り添う暮らしや、自然の素材の道具を使う日常のなかでや、物を慈しむところから、先人たちのやってきた事が見えるような気がしています。
まずは自分を磨くこと、精進あるのみ。。
これは職人だけでない、わたし設計者にも言えることですね。。

写真は、左官見習いのまーくん。
いつもは先輩達の仕事の段取りのために、土を練ったり運んだりですが・・
今日は、始めてコテを持たせてもらって塗っている姿を見ました!
おおお、一歩前進!嬉しいです~!


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